寛永十年巡見使国絵図 日本六十余州図
現存する最古の揃い国絵図!!
- 定価
- 107,800円(本体 98,000円)
- 刊行
- 2002/01/01
- ISBN
- 4760121900
- 判型
- その他・規格外
- ページ数
- 74
- ジャンル
- 資料集・史料集・地図
内容・目次
内容
本書の特徴
寛永10年(1633)に江戸幕府による最初の諸国巡見使が全国いっせいに派遣され、この上使の国廻りを通じて全国の国絵図が幕府に収納された。これはそのときの国絵図を原拠とした写本である。
◎現存最古の全国68か国の国絵図
江戸幕府の国絵図としては慶長国絵図につぐ古さであるが、慶長国絵図は現存するものが少ないだけに、この国絵図は全国68か国がすべて揃っているという点で地図資料としての価値が特筆される。
◎寛永期の居城、廃城、郡界、交通路を詳述
元和一国一城令後の居城と古城の所在が克明に図示されているほか、寛文印知以前の郡区分や江戸初期における交通路の状況を知ることができる。
◎文字情報、彩色を忠実に再現
歴史学ないしは歴史地理学をはじめとして諸研究の基礎史料としての活用を考慮して、文字情報の完全な読み取りを可能とし、絵画彩色も原図の忠実な再現をかなえている。また、この国絵図の様式・内容などの特徴については解説の別冊を付している。
日本六十余州図とは
寛永10年(1633)の全国への巡見使いっせい派遣は3代将軍家光の御代始めの事業であって、江戸幕府開設以来はじめての試みであった。その後諸国への巡見使派遣は制度化されて将軍の代替わりごとに行われ、12代将軍代替わりの天保9年(1838)まで続けられた。
初回の寛永巡見使は、全国を①五畿・南海、②関東、③九州、④中国、⑤奥羽・松前、⑥北国の6区に分け、3人を1組とする6組の分担で行われ、各組の巡見使は国廻りのあと、巡察の報告とともに分担した諸国の国絵図を将軍へ提出している。幕府巡見使による国絵図収納はこの初回のみであって、寛文7年(1667)の第2回目以降はすでに正保の国絵図事業が行われていたことによって、改めて巡見使による国絵図の収納はなされていない。
ところで、この寛永巡見使の上納した国絵図の原本は現存していない。しかし、それを原拠とするその模写本(「日本六十余州図」と呼ぶ)が全国一揃いないしはその一部分が秋田県公文書館、岡山大学附属図書館(池田家文庫)、山口県文書館(毛利家文庫)、東京大学総合図書館(南葵文庫)、熊本大学附属図書館(永青文庫)、名古屋市蓬左文庫など、いくつかの有力大名家文庫の史料中に伝存している。
いずれも模写本であるため各所蔵機関ごとに描写・彩色は異なるものの、図形や基本的な絵図様式、図示内容はまったく一致している。本書では現存する「日本六十余州図」諸本のうち描写・彩色のもっともていねいな池田家文庫本をもって図版に収録した。ただ同文庫本は尾張と播磨の2ヵ国を欠いているため、この両国については秋田県公文書館本(旧秋田藩主佐竹家伝来のものと考えられる)をもって補った。
寛永10年巡見使派遣の主目的が諸大名の治世の監察であったことはいうまでもない。しかし幕府から上使派遣の伝達をうけた熊本藩主細川忠利は、上使の任務を「国廻之衆ニ被仰付候ハ(中略)、国々大躰道筋能見候へと迄、被仰付候」(寛永10年3月10日)と、また土佐藩主の山内忠義も上使の巡察は「国々の道筋・城々の体、或ハ山海の難所、彼是有増見及可罷通」(寛永10年春)との情報を国元へ伝えている。巡見使の巡察が道筋と国境、居城と古城の見分をも重要な任務としていたことが知れる。
このことを反映して「日本六十余州図」には居城と古城、江戸初期に将軍の休泊施設であった御殿と御茶屋が独特の記号をもって克明に図示され、国境越えの道筋には注記が目立っている。ただ、6組の巡見使が分担して上納した国絵図であるため、国絵図の内容には郡区分の有無や村々の図示密度など、巡見使の分担範囲の国々による精粗の差が表れている。